神楽坂セッションハウス・アニュアルレポート 『Voice of Session House2022』寄稿

 

私はこれまでダンス作品を政治的主張と結びつけて創作したことはありません。とはいえ、ダンスがこの身体そのものを作品としている以上、身体の来歴や記憶、過去との繋がりと無関係にはいられないと思います。
 
身体芸術は、身体という具体的・物質的な側面と、コンセプチュアルなものを規定する精神的側面という両極性を含みます。それを肉体行為と頭部の思考活動、と言い換えることもできます。また骨や肉があり、血液の巡るこの人間の身体には、何十億年という地球の記憶、そして創世以来の人類の歴史が眠っていると想像します。吐き出された息や発せられた声の響き、空間を切る身振り、それらがこの大気には透明な地層となって刻印されているかもしれません。もしこの細胞の記憶に耳を澄ませてみるなら、身体は個人の記憶を超えたもの、あるいは空間を超えた集合無意識的なものと共振し始めるのではないでしょうか。今はもう存在しない街や絶滅した生物、祭りごとや伝統芸能、民族のアイデンティティを形成する文化の連続性、さらには遠く離れた地球の裏側で起きている出来事とも。
そのような共振的な観点から、身体芸術と社会的事象の関係について考えた時、コロナ禍、東日本大震災における福島原発事故、2001年9月の同時多発テロ、90年代のオウム真理教についての一連の恣意的なメディア報道など、同時代を生きている人々が意識的/無意識的に共有してしまう事象とダンスは無関係ではいられません。
 
しかし同時に、私は個々の作品から表出されるメッセージより、その作家の身体観にまず興味が向きます。ダンスにおいて「私/主体/振付家」と「身体/客体/ダンサー」の関係性は最もミクロな社会の構図であり、身近な権力構造の表出する場(政治の現場)と考えることもできるからです。振付やムーヴメントにおける主体と、それを具現化して動く身体との関係性において、そこにいかなる「自由」が生み出されるか、それとも軍隊組織のような権力的な支配構造が生じるのか?このことは他者と協働する創作現場のあり方に直結してくることでしょうし、その作家の作品スタイル(身体観)に現れてくる気がします。個々の作家の身体観を掘り下げてゆくと、そもそもダンスの主体とはどこにあるのか?という迷宮の中へと入ってしまうわけですが、しかし、この問いは私にとってはダンスの始まりの在りかに繋がってきます。短距離走のように「位置について、よ~いドン!」の号令で身体を動かそうとしても、ダンスは始められないのです。私にとって何かを創る一番始まりのところ、身体の源泉から衝動が生まれてダンスになる瞬間というのは、ふと彼方から直感の風が吹いてきて、その風を受けて何か動きが生まれてくる、という感じで、それはたとえば詩人が詩を書く直前、一枚の白紙に向かい合っている状態に近いのかもしれません。そこには一切の外的権力は働かず、ただ純粋にダンス衝動の始まりがアナーキーな真空としてあるだけです。
 
前置きが長くなりましたが、、、
 
祖父の北部沖縄戦回想録を踊ろうと思えたのは、そこに時空を超えた必然の風をはっきりと感じとれたからです。と同時に、孫の自分一人が担えるものではないと思ったことも事実です。祖父が学徒出陣によって配属された帝国陸軍第32軍は、沖縄、台湾、南西諸島(北緯30度10分以南、東経122度30分以東)の防衛を目的に創設されたものでした。祖父が戦った北部沖縄では、鉄血勤皇隊と呼ばれた少年兵による自爆攻撃が行われ、本土決戦までの時間を稼ぐための玉砕戦が行われましたが、しかし、もう一つ匿された任務がありました。沖縄陥落後の本土決戦を想定し、大本営が画策した「秘密戦」です。それは、生き残りの日本軍兵士と民間が渾然一体となってゲリラ部隊を結成し、米占領軍へのスパイ活動と奇襲攻撃を続ける、というものでした。しかし、この秘密作戦は実質的にはまったく機能せず、それによって引き起こされたことは沖縄住民の分断です。日本軍兵士から、子供も女性も米軍のスパイになり得ると見做され、疑心暗鬼となった住民はお互いを密告せざるを得ないという、非道なスパイ活動を余儀なくされたのです。そして日本兵による惨たらしい住民虐殺の悲劇が起きました。戦後、口にすることを憚かられ、秘せられ続けた残酷な「秘密戦」の実態。私たち日本人の多くはそのことを知らずに21世紀に突入し、北部沖縄戦は歴史の暗部に封印され続けてきたのです。
 
この事実は戦争の非人道性というヒューマニズムの問題だけではなく、私にとって、この身体を流れる血脈、あるいは「日本人の身体の道理性」の問題です。そしてこの身体の中に民族としての連続性が果たしてどこに見出せるのか、という問いは、私にとってダンスする上での非常に重要な眼差しです。日本という国を領土としてではなく透明な一個の人体として想像した時、私には太平洋戦争以前、すでにその姿は頭部を切断されてしまっていたように見えます。
作家・三島由紀夫をして現代の定家と言わしめた歌人、春日井建の有名な一首
”大空の斬首ののちの静もりか 没ちし日輪がのこすむらさき”
を想起もしますが、このことを突き詰めると、戦争の悲惨ということにとどまらず、かつて絶対権力者とされ神聖視された天皇と琉球、あるいはアイヌや蝦夷にまで連なる、支配・被支配の歴史にまで繋がってくると考えます。それは「中心/都市」と「辺境/地方」、一神教とシャーマニズム、西欧と日本といった関係性にまで通底してくるでしょう。そして、父権の終焉した戦後日本社会のあり方から、ダンスにおける「私/主体/振付家」と「身体/客体/ダンサー」、「頭部と四肢の関係性」という統治とアナーキズムの問題、権力と自由の問題にまで直結してくるのではないでしょうか?
 
北緯30度10分以南、東経122度30分以東。
この記号は、本土から切り離され、日本人と非日本人を残酷に隔てた深淵となって、今もこの身体に刻まれその奈落を覗かせています。私個人の人生を超えた記憶を眠らせたまま生きていくこともできるのかもしれません。しかし、一度目醒めた記憶とどう向き合っていくのか、願わくばそこに未来からの呼び声を聴き取りたいと、この「アーカーシャのうた 鯨井巖 著『一学徒兵の北部沖縄戦回想録』」を踊りました。

 

神楽坂セッションハウス・アニュアルレポート
『Voice of Session House2022』寄稿