舞踏計画:剝製の光へ Vol.1『UBUSUNA異聞』発話テキスト

舞踏計画:剝製の光へvol.1『UBUSUNA異聞』発話テキスト

UBUSUNA異聞』作中の発話テキストを掲載します。

稽古場では「うぶすな語り」シーンとして創作されたこの場面。それぞれの身体の原風景を即興的に発話していくという試みです。

当初は土方巽『病める舞姫』のテキストを、秋田弁で発話してみたらどうだろう、との案から出発しましたが、すぐに、土方が即興で語ったものを再現することが有効でないとわかり、
自分にとっての〝産土(うぶすな)” を、それぞれのお国言葉で即興的に語る、ということに焦点をしぼっていきました。

出演者の四人のからだの原風景とは。そして、あなたの中の『UBUSUNA異聞』とは?

 

 

定方まこと

「どっから来たの?」

 自問。

 

 「そっつぁらこといったってよー、まだまださみんだ。
海の向こうから北風吹いてきてよー。
海は荒海向こうは佐渡よって、佐渡の向こうからびゅうびゅう冷たい風が吹いてくんだ。
そいで松の木はみんなひしゃげて、おんなじ方に曲がってしもうて。」

 

(そんなこと言ったって、まだまだ寒いんだ。
海の向こうから北風が吹いてきてさ。
海は荒海向こうは佐渡よって言うけど、佐渡の向こうからびゅうびゅう冷たい風が吹いてくるんだ。
そのせいで
(海岸の砂丘の)松の木はみんなゆがんで、同じ方向に曲がってしまう。)

 

新潟の冬の原風景。「海は荒海向こうは佐渡よ」は、北原白秋作詞の童謡『砂山』より。白秋が新潟の寄居浜から見た日本海の荒波。寄居浜の近くには、明治維新の戦死者を慰霊する護国神社があり、その境内に『砂山』の歌碑が建立されている。

 

 

『砂山』

 海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめなけなけ もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ

 

暮れりゃ砂山 汐鳴(しおなり)ばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ

 

かえろかえろよ 茱萸(ぐみ)原わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした

 

  

「あ~、海の向こうって言ったっけ、
ウラジオストクや釜山からも船来てよ~。
んで朝はよから港行って釣りしてたらでっけぇ船入って来てよ~。
魚逃げっからやめれ、ゆーてたら万景峰号だったっけ、
あ~れはびっくりしたわ~。」

 

(あ、海の向こうって言えば、
ウラジオストクや釜山からも船が来ていた。
それで、朝早くから新潟港に行って釣りをしていたらでっかい船が入って来て。
魚が逃げるからやめてくれ~、って騒いでいたら、その船は万景峰号だったんだ。
あれはびっくりしたな。
)

 

故郷、新潟の記憶。
当時新潟港は日本で唯一、ロシアと北朝鮮からの船便があった。
「海の向こうから」はマレビト、来訪神の暗喩。

 

  

「あのしょがあん時、あんげこと言わねば、こんげことにはならねかったろうに。
なーしてあんげこと。だーすけあん時、やめれゆーたんわー。」

 

(あの人があの時、あんなことを言わなければ、こんなことにはならなかっただろうに。
どうしてあんなことを。だからあの時、止めろと言ったんだ。
)


1945815日。映画「日本のいちばん長い日」。

 

 

「コフクゲキジョウって言うても何のことだか、さっぱりわかんねんだわー。」

 (鼓腹撃壌って言ったって何のことだか、さっぱりわからないんだよ。)

 

鼓腹撃壌:中国の故事から、下々の民衆までもが食べものに困らない平和の世の中の意。「さっぱりわからない」のは、株価が上がり市場が活況を呈しても、一般市民には実感されないことに象徴される現在の日本の状況。

 

  

「このまま行ったら、この国サねなってしまうのでねっか?
そうでもいいと思うてる人たちとは、もう口きく気にもなれんくなってんだ。」

 

(このまま行ったらこの国はなくなってしまうのではないか?
それでもいいと思っている人たちとは、もう口をきく気にもなれなくなっているんだ。
)

 

 

 

 

金森裕寿

 

【秋田弁】

んでね。んでねって。
んでねなぁ。んでね。

おぃの育ったあぎただばやぁ、
冬だばしたげさびして雪だばたげぇぐつもってあってや、
まんづままんでしれぇぐなってあった。

おぃのこまげえときだば、
まっしれぇゆぎのながさいで、おぃの身体もしれぇぐなって、
ゆぎになってしまったんでねぇべがって思ってあったんだ。

隣のえのじっちゃとばっちゃだば、
一日中えのながさいで、ままばりくっで、ながまってばぁりいで。

しってだが、しってだがって。
おどもなんもしねして、したげしづがなんだって。

シーンとしたえのながでかさかさーっておどっこしてあった。
したっけおもでのドアどご、バンバン!って。

びぐびぐでぇって行ったっけ、したっけしれぇクマどこいであってや。
おいだばもう、えのながさあったでっけぇ銃どご取り出して「バン!」って。撃ってあって。

だがらおいももう死んでしまったんでねぇべかって。
死んでしまったんでねぇべかって。

だがらよぉ、世界によぉ、俺ひとりでねぇべがってよぉ、
思ってしまうんであってなぁ。
よぃんでねって。よいんでね。のぎぃなぁ。さんびぃなあ。

【東京弁】

そうじゃない。そうじゃないでしょう。
そうじゃないなあ。違う。

俺の育った秋田だと、
冬はとっても寒くて雪は高く積もって、
そこら中、一面、白くなっていた。

俺が小さい頃なんて、
真っ白い雪の中にいて、自分の身体が白くなって、
雪になってしまったのではないかと思っていたのです。

隣の家のじいさんとばあさんは、
一日中家の中でご飯ばかり食べて横になってばかりいる。

知っていましたか。知っていたのかって。
音も何もしなくて、とても静かなのです。

シーンとした家の中で、かさかさと音がした。
そしたら、表のドアをバンバン!って。

ビクビク怯えながら見に行ったら、白い大きい熊がいたんだよ。
俺はもう家の中にあったでっかい銃を取り出して、「バン!」って撃って。

そうしたら、俺自身ももう死んでしまったのではないかって。
死んでしまったのではないかって。

だからさ、世界にさあ、俺ひとりじゃないかって、
そう思ってしまうのです。
しんどいなぁって。しんどい。暑い。寒いなぁ。

 

 

 

鯨井謙太郒

 

んなこだぁねぇって!

あそこの山の上さ、しがぐぃ池さあっぺ

あれ、池の底、まっ暗なとこさ、あれお空の影だっつんだがらよぉ

いやぁんなこだぁねぇっつたの

したらじじさかばばさかわかぁんねぇけど

やっぺすお空の影だっつんだがら

あっぺとっぺだべっつぅの

んで、あれ春?冬?秋?夏だったべか?

って、したらやぁっぺすそれ冬秋夏春だべっつって

あっぺとっぺなこと言ってんだがらやぁ

んであそこの高ぇ山かと思ったっけ

雲だったんだべ

やんだごだやぁ

「この高天原がぁ」っつって

それおテント様のことだべっつって

んでだぁれもいねぇべ

「生きているものの影もなく・・・」

「死の匂いものぼらぬ・・・」

どごさいぐのっしゃ?

 

 

 

野口泉

 

だいふのおしえは ほねにめいじ
せんこうのみことのりは みみなおねっす
じゅうねんうんけつす ねっけつのはらわた
こんにちただちに ぞくほうにむかってさく

 

おもうしそんにじして かさねてここにきたり
さいはいふふくして けつるいたる

 

こころをおなじゅうするもの ひゃくしじゅうさんにん
こころざしをあらわす さんじゅういちじのことば

 

かへらじと かねておもへば あずさゆみ
なきかずにいる なをぞとどむる

 

やじりをもってふでにかえ
なみだにわしてふるう
ぼうはばんめんにほとばしって
ひかりりくりたり

 

______________

 

乃父の訓は 骨に銘じ
先皇の詔は 耳猶熱す
十年蘊結す 熱血の腸
今日直ちに 賊鋒に向かって裂く

 

想う至尊に辞して 重ねて茲に來り
再拜俯伏して 血涙垂る

 

心を同じゅうするもの 百四十三人
志を表わす 三十一字の詞

 

かへらじと かねて思へば 梓弓
なき数に入る 名をぞとどむる

 

鏃を以て筆に代え
涙に和して揮う
鋩は板面に迸って
光陸離たり

 

※小津安二郎監督『彼岸花』の中で、笠智衆が宴会の席で吟じる詩吟。小津映画の中で聞かれる言葉の響きが、わたしにとって原風景の一つです。

 

 

舞踏計画:剝製の光へvol.1『UBUSUNA異聞』発話テキストweb  企画構成 野口泉